慢性疼痛と共に。サステナブルライフ、環境に優しい生活を目指す。

慢性疼痛を持つ50代主婦、日記。サステナブルライフ、環境に良い生活を目指す。

慢性疼痛になった理由。



私が交通事故に遭ったのは、15年前のことです。その時、便利だからと、原付バイクを乗り回していました。制限速度はちゃんと守って走っていました。そこに、免許取り立ての若い女の子が、よそ見をしていて私にぶつかってきたのです。吹っ飛ばされましたね。ヘルメットは割れ、バイクは廃車でした。速度を守ってなければ、死んでいただろうと言われました。その後、救急車で運ばれて、検査したところ、肋骨にひびがはいっただけと言われました。10日間程、胸の部分を固めながら仕事もしてました。けれど、何時になっても痛みが取れないんですね。ドクターショッピングをして、最後にやっとMRIの検査をしてもらいました。医師は交通事故の患者を嫌います。関わりたくないのです。法廷にでも出る事になったら、医師にとって何も良いことがないからです。だから、最後は交通事故を隠してなんとかMRI検査まで持ち込みました。すると、頸椎と腰椎がヘルニアになっていました。現在では、温存治療が主流になってますが、その頃は割と手術が医者の中で流行っていたそうです。それで、首と腰、二年かけて、手術しました。私の首には腰から取った骨が、腰にはチタンのボルトが埋め込まれています。もうダメになっていた骨を切除しての手術だったんです。術後は地獄です。6ヶ月間、固定するのです。それでも仕事が大切だった私はその状態で働き続けました。治ると信じてたんですね。馬鹿てすねぇ。

本当の地獄は固定が取れてからでした。

手術する前より痛くなってしまったのです。

今なら、絶対に手術は受けないでしょう。15年前は何の方法もなかったのです。

疼痛を抱えながら、仕事を続けました。ペインクリニックもかかってましたが、薬が効かないのです。今では、主流となっている考えですが、脳が痛みに過剰に反応しているのです。痛みを抑える物質が限界を超えたわけです。あまりの痛みで、鬱状態になっていました。

 

八年前、今の主人と再婚しました。

「家でゆっくり休めば?」と、言ってくれました。その時は、とても嬉しく、有り難かったです。

 

しかし、20年以上仕事をしてきた私が、家で家事たけをするのも、それはそれで苦痛でした。何をすればいいんだろう?なんだか、どんどん社会から置いていかれる。友人とも話しが合わなくなってくる。子供がいないから、ママ友も出来ない。私は孤立していきました。だからといって、疼痛があるから、何も出来ない。情けない。そんな自分が嫌いになっていきました。毎日、鬱状態、生活にハリがない。元々、ポジティブで、多動症気味の私にとって、こんな苦しみはなかったです。

 

続きはまた書くとします。

 

二年前に疼痛がピークになり、車椅子生活を送っていました。その私を救ってくれたのが今、服用している薬です。


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黄緑色の薬は、ノルスパンテープといい、一週間貼りっぱなしにする、経皮吸収型の薬です。これを初めは20mg使用。それから、横のトラムセット、下のリボトリールは服用薬です。正直、トラムセット、リボトリールは効いてるかどうかわからないです。しかし、ノルスパンテープのおかげで、車椅子から離れる事が出来ました。そして、この頃は週に一度、神経ブロック注射を首と腰に打って貰ってました。今はもう、注射はしていません。

ノルスパンテープも20mgから10mgに減薬しました。しかし、このノルスパンテープも病院によって、出してくれないところがあり、偶然行った病院で直ぐに出して貰えたのは大変ラッキーでした。

 

今はこのノルスパンテープを断薬する事を目標に頑張っています。ある目標があるのです。